平成15年5月31日(土)
設立総会終了後 尾道市公会堂別館にて
講 師 : 畠中 美恵子
参加人数 : 40名

力石について(畠中氏勉強会より)
今日出掛けに資料を読んでいましたら、その本の後書きに『歴史は過去と現在のキャッチボール』ということが書いてありまして、ありゃっ、ええこと言うてくれるわと思いまして…」という調子で始まった勉強会は、平山角左衛門が築港した住吉浜が栄えていた当時の浜仲背・表仲背の様子、力持ちで有名な和七、そして日本全国にある力石について、スライドを使って説明がありました。
当時、力石は表仲背の人の勤務評定にも使われていました。機械化が進んでいない時代は人力で船から荷揚げや積み込みをしていたので、力の強い人が給金が高かったそうです。そのため、力比べに力石がよく使われ、全国の港町にはたくさんありました。また、今のように農業が機械化されていなかったので、体力のある農民を養成して生産を上げたいという幕府政策で、体力増進のために力石を持ち上げる祭りが行われていました。 全国の力石を調べられている四日市大学の体育学部で、医学博士の高嶋慎介さんのお話を出され、その先生によると力石は体育学の方から調べると、今の重量挙げのルーツで、民俗学的に調べると、賭けとしての興行とされるようになったそうです。
力石の担ぎ方は、まず石に水をかけて清め、先の分かれた縄を力石の下にくぐらせ、力士がしゃがんでその縄を持ち上げて膝に立てかけます。次にお腹の上に乗せて縄を引き抜いてはずします。そして胸のところまで持ち上げ、首を横に曲げて背骨の上に乗せます。 尾道は石の街と言われているように、石工が腕の冴をつくしています。河村瑞賢が西回り行路を開き北前船が出入するようになると特に尾道が栄えたのですが、北陸の北前船の寄港地には尾道の石工の名前が入った灯篭や石の鳥居がたくさん残っています。大宰府本殿の裏手にある相撲の開祖 野見宿弥(のみのすくね)の碑の前に尾道の力石が三つ松竹梅と並んで置いてあります。全国に力石がありますが、尾道の力石が一番彫が深く立派です。
